礼拝メモ 5月16日

聖書 使徒の働き16章6節-18節

 使徒パウロは、アンティオキアの教会から送り出されて、小アジアの一部を伝道して回りました。2回目の時にヨーロッパに渡るのですが、この章がその時のことを詳しく伝えています。

 まず、「アジアでみことばを語ることを禁じられた」(6節)のが発端で、パウロの伝道旅行の方針が変わらなければならなくなります。さらに、方向転換をしようとしても「イエスの御霊がそれを許され」ませんでした(7節)。このように、みことばを語り伝えるための旅行が挫折しそうになります。

 このような聖霊の働きについて、よい参考書があります。ウェスレー・デュウエル師の書いた「日ごと主に導かれて」という本です。主のみこころを祈って進むときに、どのようにしてみこころを捕らえるかが、大きな問題です。この先生は、基本的に三つ、二次的に四つの材料をもとに、みこころを捕らえるように勧めます。基本的な三つとは、聖書と聖霊とキリストの心です。二次的な四つとは、摂理的な状況、私たちの良心、他者の助言、そして良識であると記します。

 聖霊が導かれる時、禁じたり許さなかったりするのは、なぜでしょうか。この先生は、一〇の理由を挙げています。

 まず、神の時、つまりクリスチャンが備えられた状態を待つためです。第二に、訓練のためです。人間が勝手に決めるのでなく、主の導きに拠り頼むことを教えるためです。第三に、よくない道に進ませないためです。第四に、試みに会わせないためです。私たちが進む道に様々な危険が潜んでいます。しかし、私たちはそれが分からないことがあります。ある人は、車を止めるように迫られ、路肩に停車しました。しばらくして「運転していい」と心に教えられて進みました。すると、竜巻で襲われた一帯を通ったのでした。

 第六に、口にする言葉、書く言葉が後で後悔することにならないように、抑制されます。第七に、軽率な行動から守るために、禁じたりします。第八に、過食、飲み過ぎの罪から守るために抑制されます。第九に、自由な時間をどのように使うかについてチェックされます。第十に、賢くない出費から守るために、禁じるようにします。

 このような御霊の導きをいただくために、私たちは祈ることを忘れてはなりません。「絶えず祈りなさい」と勧められているのは、意味があるのです。祈りは、神様に自分の願望や感情を押しつけたり、自分の知識を振り回すものであってはなりません。あくまでも私たちは人間なのです。造られたものです。全知全能の神様の助けを必要とする存在です。

 旧約聖書には、「主の指示を求めなかった」ために、失敗をした出来事が記されています(ヨシュア記9:14)。ダビデがペリシテの国に逃げたときも、主のみこころを求めずに行ってしまい、偽りの日々を悶々と過ごさなければなりませんでした。祈り、主のみこころを教えられるまで待ち望む訓練が、私たちには必要です。

 聖霊は、導きたいと思っています。そして、ときには、私たちが気づかないうちに導いてくださいます。でも、導かれていることを知ることは幸いなことです。導かれていることを知って生きるとき、聖霊の導きの声をよりよく分かるようになるのです。

 聖霊は、パウロを導いて、終わりではありません。私たちをも導きたいのです。交わりの幸いを経験してほしいのです。祈りましょう。

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