礼拝メモ 5月9日

聖書 使徒の働き27章13節-38節

 聖書は私たちに与えられた神の書です。神様は読んでほしいと願っています。でも、どう理解したらよいのか、迷うこともあります。礼拝のメッセージは、一つの理解のモデルとなるでしょう。

 今朝は使徒の働きの27章です。使徒の働きには「聖霊」に言及する場面が多く、一章に2回の割合で、聖霊が言及されています。しかし、この27章には言及がありません。でも、この記事の中に、聖霊の働きが隠されていないでしょうか。

 27章は、使徒パウロがカイサリアからローマに護送される場面を記しています。それは船旅でした。地中海の東の端から真ん中に近いローマを目指して進むのです。時期的には、冬は船旅は避けたほうが良いのです。しかし、出港したものの、なかなか進めません。どこかで冬を越すことになるのなら、あそこがよいと、ある港を目指して進んだのですが、嵐になって、暴風に巻き込まれ、流されるままになってしまいます。船を軽くする必要もありました。そして「太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた」のです(20節)。

 その時、パウロは立ち上がって口を開きます。この船は276人もの人が乗っている大きな船です。みんな絶望しそうなとき、パウロは「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません」とみんなを励ましたのです。その根拠は、御使いの知らせにありました。「昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船をしている人たちを、みなあなたに与えておられます。』ですから、皆さん、元気を出しなさい」(22−25節)。

 この後、水深が浅くなってきたので錨を四つ投げ降ろして、夜を過ごし、朝方、パウロは食事を勧め、みんなでパンを食べて元気になるのです。そして、島の浜辺に乗り入れようとして浅瀬に乗り上げ、船が壊れ始めたので、泳げる者は飛び込んで浜に着き、泳げない者は板につかまった浜に着きました。「こうして、全員が無事に陸に上がった」のです(44節)。

 この遭難事故の中で目立つのは、使徒パウロです。みなが希望を失ったとき、彼は神との交わりに生きていました。そこから、希望を伝えることができたのです。「いのちを失う人は一人もありません」と励ましました。「私は神を信じています」と神の言葉に信頼していました。

 ローマ神話やギリシア神話の神でなく、「私の主で、私が仕えている神」と告白した、生ける神に信頼していることを、堂々と告白しました。彼の落ち着き、的確な指示、率先して食事を取った態度、希望にあふれた姿など、使徒パウロの中に働く聖霊のみわざを見ることができます。

 パウロは「難船したことが三度」あると言っています(Ⅱコリント11:25)。この時もその経験が生かされたことでしょう。今、私たちは新型コロナウイルスの感染という新しい危機に遭遇しています。この中で、パウロのように落ち着いて対処できるには、主との交わりを深めることが必要ではないでしょうか。そして、「私の主、私が仕えている神」と告白できる生活を送ることが大切です。聖霊が助けてくださいます。今日も主を見上げて祈り深く歩みましょう。

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