礼拝メモ 5月2日

聖書 使徒の働き11章19節-30節

 使徒の働きは、聖霊の働きがたくさん記されている書です。28章の中に59回も、聖霊に関する言及があります。聖霊がどのような働きをするかを考えるとき、この書を読むことは抜かせません。

 さて、今朝は11章後半ですが、これは、10章のペテロの働きに関連して、聖霊の働きが広がってゆく様子を描いている部分です。10章では、ペテロの個人的な働きとして、ローマ人のコルネリウスが回心したことが記されています。11章の前半には、外国人との交際を避けるユダヤ人から、ペテロが非難されて、彼が弁明をしたことが記されています。

 この後半には、アンティオキアの町で起こったことが記されています。迫害から逃れてきた人たちが、ユダヤ人以外の人たちにも福音を伝えたところ、多くの人が主イエスに信頼したのです。そのことがエルサレム教会に伝わったとき、バルナバが派遣されてきました。

 バルナバは、アンティオキアの教会に来て、その集まりの中に「神の恵みを見て喜んだ」のでした(23節)。恵みは、目に見えるものではありませんが、バルナバは恵みの現れを見つけたのです。その恵みの現れとはなんでしょうか。

 まず言えることは、このアンティオキアの教会に集まっている人々が、主の恵みを受けた人たちだということです。恵みによらなければ、だれもイエス様を信じることはできません。イエス様の存在そのものが恵みですが、この御方を知ったこと、そして赦されてその交わりに入れていただいたことは、恵みなくしてあり得ないのです。「この恵みによって、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です」と後にパウロが記しています(エペソ2:8)。彼らがどんなに喜んでいたことでしょう。それはまた、バルナバにとってもうれしいことでした。

 彼らの喜びは、彼らの生活の中にあふれていたのです。そのために、周りの人たちから「キリストの者、キリストに服する者」という意味のキリスト者という名前が生まれました。この言葉が「クリスチャン」となって、今も生きているのです。まさに、バルナバは、イエス様の恵みを見たのです。

 そして、アンティオキアの教会で奉仕を始めたバルナバは、もう一つの恵みを見つけました。それは、この教会の可能性です。まだまだ育つ可能性、まだまだ広がる可能性です。そのために、バルナバは、助け手を祈り求め、サウロを探しにタルソまで出かけて行きました。ユダヤ人に憎まれ、殺されそうになったサウロは、生まれ故郷のタルソに避難していたのです。そこで出会ったバルナバは、アンティオキアに彼を連れて来ました。そして、教会で彼の奉仕がなされ、「大勢の人たち」が教えを受けたので、さらに教会は大きくなっていきました。イエス様が育て、広げてくださったのです。これも恵みです。

 当時、各地に飢饉が起こりました。アンティオキアの教会はエルサレム教会に援助を送ることを決めます(29節)。彼らは、イエス様が言われた「受けるよりも与えるほうが幸いである」という恵みを心に抱いていたのです(使徒20:35)。何という広い心でしょう。ここにも、バルナバの見た神の恵みが現れています。

 バルナバが神の恵みを見ることができたのは、「聖霊と信仰に満ちている人」だったからです(24節)。聖霊はアンティオキアの人たちにも豊かに働いていたのです。

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