礼拝メモ 2月21日

聖書 ペテロの手紙第一 1章3節-9節

 主イエスのよみがえりは、だれもその現場を見ていません。でも、およそ二千年の間教会はイエスはよみがえられたと証しをしてきました。その理由は、①埋葬された墓にイエス様のお体はなかったこと、②弟子たちに何度も現れたこと、③弟子たちが大胆に証しをする人に変えられたこと、④日曜日が主の日として守られてきたこと、⑤教会が今まで存続してきたことなどです。

 イエス様のよみがえりの結果、私たちが受けている恵みはたくさんありますが、今日はその中から、新しく生まれる恵みを取り上げてお話ししたいと思います。聖書は、ペテロの第一の手紙です。

 この3節に、「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました」とあります。

 ペテロは、イエス様が捕らえられる少し前に「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」と言ったのです(ルカ22:33)。それなのに、彼は他の弟子たちと同じように逃げてしまったのです。

 彼がイエス様に申し訳ないと思いながら、数日を過ごしていたとき、イエス様がよみがえって、彼に現れてくださり、彼を赦し、新しい使命を与えて再出発させてくださったのです。これは、ペテロにとって新しく生まれた経験でした。それで、彼は人々の前、権威者たちの前でも堂々とイエス様のよみがえりを証しするようになったのです。

 この「新しく生まれる」という言葉は、イエス様がニコデモに語った言葉です。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)。ペテロは、神の国を見る(経験する)ことができたのです。ペテロは天国の民となったのです。

 別の表現をすると、彼の名前が天に書き記されたと言うことです(ルカ10:20)。「霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」目に見える世界で起こることで一喜一憂するのでなく、天に自分の名前が登録されていることを喜びなさいと言われました。これは、新しく生まれた人の出生届のようなものです。パウロは、「私たちの国籍は天にあります」と語っています(ピリピ3:20)。主イエス様は、私たちを国民として守ってくださるのです。

 新しく生まれることによって、私たちは神の子どもとなります。天の神様を「天のお父様」と呼ぶことができるのです。すごいことですね。「天地の造り主、全能の主」をこう呼ぶことができるのですから。

 そして、神の子どもは、父なる神様やイエス様との交わりに生きることができるのです。それまでは、神様のこと、その御心が分からなかったのですが、聖書を通して、またその御わざをとおして、分かるようになり、交わりがもてるのです。これこそ、神様が願っていることなのです。感謝です。

 新しく生まれる前の私たちは、「死んでいた」たましいです。神様のことに反応をしないのです。いや、できないのです。旧約聖書ではそのような心を「石の心」と表現しています(エゼキエル11:19)。それが、神様の声に、あるいは神様の言葉に答えることができるようになるのが、新しく生まれる恵みでもあります。あせらず、あわてずに、聖書の言葉を聞き続けるなら、新しく生まれた恵みを経験できるのです。そのために必要なのは、ペテロのように罪を赦していただくことです。

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