礼拝メモ 1月24日
聖書 使徒の働き12章1節-17節
先週お話ししたように、教会総会に備えて、今朝も教会について考えます。聖書は使徒の働き12章です。
ここにはヘロデ王が教会の指導者たちに加えた迫害が記されています。最初の犠牲者はヨハネの兄弟ヤコブです。使徒の中で最初に殉教したのです。このヘロデ王とは、主イエスの誕生の時に幼子を殺害したヘロデ大王の孫です。ユダヤ人によく思われたいという理由で、クリスチャンを迫害したのです。
次にヘロデ王の手は、ペテロに伸ばされました。ペテロは捕らえられ、牢に入れられました。過越の祭りの後で、裁判をし、死刑にする計画でした。しかし、主はその計画に介入しました。御使いを遣わして、ペテロを救出したのです。その背後には、教会の熱心な祈りがありました。祈りの答えとして、ペテロは解放されたのです。
教会は、このように祈る人の群れです。ウエスレーは、次のように書いています。「神は祈りに対する答えとしてでなければ、何事もなしたまわない。霊魂が獲得するすべての新しい勝利は、新しい祈りの結果である。」(キリスト者の完全)
パウロはテモテへの手紙で、こう言っています。「私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にある全ての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。」(Ⅰテモテ2:1)パウロは、すべての人のために祈ることを勧めています。それは、神が「すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられ」るからです(同4節)。そして、「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくだ」さったからです(同6節)。
この祈りの要請は、私たちの信仰生活の方向を定めます。毎日の生活の中で見かける人々のために、「この人も救われますように」と祈り続けましょう。
パウロはここで祈りの四つの要素を示しています。願い、祈り、とりなし、感謝です。祈りは、主との会話であり、交わりです。感謝できることは、いっぱいあります。仕事も自然も、家族も摂理も、神の扱いも、みな感謝のもとになります。「感謝こそ、祈りの主要部分だ」と言った人があります。感謝をしましょう。
パウロは、手紙のあちこちに祈っていることを記しました。また、パウロは祈ってもらうことを求めました。福音の働きには、絶対に祈りが必要だからです。祈り会を自分の時間にしましょう。
祈るのはイエス様の模範があります。香のように神に上ってゆく祈りをささげました。神を愛し、神を喜ぶなら、いっさいの行動は祈りになります。愛から生まれる願いは祈りです。宣教師たちも、祈りによって支えられています。
祈りは信仰をもってささげられるものです。祈りに耳を傾けておられる神様がおられ、神の善意と愛と御力を信じて祈らなければなりません。「みこころが天において」速やかに喜んでなされるように、「地において」もなされるように祈りましょう。まず、私のうちに御心がなされますように。
祈りはみ言葉に立って祈ることで力強くなります。旧約聖書の中に、模範がいっぱいあります。新約聖書にも、み言葉に立ち、聖書の約束を盾にして祈る祈りがあります。パウロもペテロもヨハネも、そのような祈りをささげました。神様が御子を遣わして救いの道、私たちの贖いの代価を払ってくださったのですから、御心がなされるように祈っていきましょう。教会は祈る人の群れです。