礼拝メモ 12月13日

聖書 ルカの福音書1章37節-56節

 コロナ禍の中、こうして集会に集えたことを感謝します。主イエスの誕生を待っていた人たちに心を向けてみましょう。

 マリアは御使いのお告げを受けて、驚きと戸惑いに心を揺さぶられました。しかし、御使いの「神にとって不可能なことは何もありません」のことばに励まされ、主に委ねて、「この身になりますように」と受け入れたのでした。そして、御使いのことばにあった親類のエリサベツに会いに行きます。ほかの人に話して分かってもらえることではなく、ただこの人なら分かってくれるのでは、との期待を込めて出かけたのです。

 マリアの挨拶に応えたエリサベツの言葉は、少し興奮気味でした。聖霊が働いていました。お腹の赤ちゃんが動いたことを、喜んで踊ったと表現しています。そして、「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は幸いです」と語ったのです。この言葉は、エリサベツ自身とマリアの経験を語ったものでしょう。大切な言葉です。そして、マリアは、御使いの御告げを受け入れたことによって、自分を通して神がなさろうとしていること——救い主の受肉と誕生の意味を賛美します。このマリアの賛歌は、マグニフィカートとして知られる賛美です。

 マリアは、この賛美の中で、救い主の誕生をもたらす神様の性質を、そして救い主がおいでになる結果を、さらに救い主を送ってくださる源を歌っています。

 マリアにとって、救い主が生まれるようにしてくださった神様は、「力ある方」です。御使いは「いと高き方の力があなたをおおいます」と伝えました。処女であるマリアのうちに救い主を生まれさせる、人間の理解を超えた力の持ち主です。

 さらに、この方は聖い方です。純粋な愛でなければ、このようなことはできないのです。そして、その源は、「あわれみ」です。創造主から見た人間の姿は、この方の心をあわれみで満たしたのです。これらのことを、マリアは、聖霊の助けを受けて理解し、賛美しているのです。

 救い主がおいでになると、「心の高ぶる者」や「権力のある者」は追い散らされ、引き降ろされるのです。反対に、「低い者は引き上げられ」、「飢えた者」は満ち足らされるのです。山上の説教で語られたことに通じる福音がここにはあります。

 そして、これらのことの背後、あるいは源は、主の「あわれみ」です。そのあわれみは、みことばを実現する真実さの中にあります。エリサベツは「主によって語られたことは必ず実現する」と言いました。マリアは、アブラハムに語られた主のことばが実現して、いま救い主の誕生を迎えることを知って、驚くべき神様の真実にあわれみを読み取っているのです。

 神様のみことばを実現するあわれみは、今も変わりありません。主イエス・キリストによってもたらされる救いの道、福音も、神様の真実をかけて実現します。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ」との約束も、「彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります」との言葉も、実現しました。そして、「そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです」という再臨の約束もやがて実現するのです。聖書に親しみ、主の語られる約束を信じて、信頼して過ごしましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ