礼拝メモ 10月25日 教団創立感謝礼拝

聖書 コロサイ人への手紙1章24節-29節

 10月21日は、私たちの教団の創立記念日となっています。それは、岡山県の野馳という所で行われた祈り会を記念するものです。そこに至るまでの流れを記します。

 シンガポールの医者の家に生まれた蔦田二雄は、小学校を日本で過ごし、成績優秀で、ロンドン大学へ留学することになり、長い船旅に着きました。その船中で知り合った青年、オーエン・ガントレットは、長く親友となります。オーエンが救いを受けた喜びを語るのを聞いて、二雄はそれをたしなめます。しかし、オーエンの聖書に対する信頼を聞き、自分で調べ、確かに「信じる者は永遠のいのちを持つ」ことを認めます(ヨハネ6章47節)。ロンドンでの生活の中で救いの信仰に立ち、学生伝道に励みます。日本からの朝比奈協(かのう)先生の言葉に、召命を感じます。そして、悩み、シンガポールの父親に手紙を出します。父、顕理は家族会議の末、「神に従え」(Obey God)と電報を送ります。そして、二雄は大学を中退して伝道者になるために帰国します。

 神学院時代の実習地、日本橋で多くの回心者を得た蔦田二雄は、そこの牧師として働き、聖化を求める人たちとの交わりの中でリバイバルが起こります。献身する者たちのために茂呂の聖書学校塾を開き、中国に伝道にも行きます。しかし、軍事政権は、彼をはじめ200人以上の牧師を検挙します。蔦田は二年の獄中生活の中で、神がともにおられるという恵みを経験し、もし自由を与えられたら再び福音を伝えたいと願います。

 敗戦後、青山学院にしばし勤めますが、伝道の意欲が燃え、野馳の長谷川姉妹を訪問してともに祈ったのです。この姉妹は、双子で、一人は医師、一人は伝道師でした。そして、その祈りの中で、伝道に立ち上がる決意をします。これが、私たちの群れの発端になります。

 その後、復員してきた伝道者たちと祈りながら、伝道の働きを始めます。船橋の地から東京の丸の内に移って、伝道活動を続けます。救われた若者が献身すると、神学校を開設します。海外に宣教の視察に行き、3人の宣教留学生を送り出します。各地に教会を開拓します。昭和40年、六カ所に開拓された教会の一つが高知教会です。

 コロサイ人への手紙で、パウロは、「この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」と書いています。蔦田二雄は、この奥義を経験し、それに土台を置いた宣教に携わったのです。目指すのは、世界宣教であり、その基礎は聖書にある聖化でした。

 主がともにおられることを経験した蔦田二雄は、日本人の心にこの真理を打ち込もうとして苦心しました。キリストとの生きた交わりをはぐくみ、祈りの生活を重んじ、聖書から御心を求めて生きる教会を打ち立てようとしたのです。私たちは、この群れに連なる者として、主との交わり、祈りを深め、聖書に親しみ、御心を実行して生きていかなければなりません。そのとき、主は豊かに働いてくださるでしょう。

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