伝道会メモ 10月18日 午後
聖書 ヨハネの福音書5章1節-9節
特別集会 講師・田中敬康先生
聖書に家を建てた人の話が出て来ます。家を建て終わっても、さまざまな危険がやって来ます。人生の嵐は、上からも(雨)周りからも(風)下からも(水)やって来ます(マタイ7章24-27節)。上からとは、悪の力がやって来るのです。「魔が差した」と言いますが、まさに悪の誘いです。世の流れに流されるのは、周りからの誘いです(エペソ2章1節)。情欲に従うように誘う嵐もあります(エペソ2章1節)。
救い主は赤ん坊となって現れました。それは、だれでも救い主に近づけるためです。そして、十字架につけられて死にました。その時、「完了した」と言われました。罪のための身代わりが完了したのです。そのことの証しとして、救い主は復活しました。今も生きておられるのです(釈迦の骨が大切にされるのと違います)。40日して天に昇りました。それは、御座に着いてとりなしをするためです。そこから聖霊を遣わし、私たちの心に住んで下さるのです。そして、知恵や慰めを与えて下さいます。
ケニアには、ウィッチドクターがいます。悪魔の下役の霊が働いています。ですから、キリスト教に猛烈に反対します。しかし、イエス様は悪霊に勝利する力をくださいます。それは、精霊の力です。神の御霊に満たされると、悪の霊に勝てるのです。悪い思いが心に浮かんでも、すぐに追いだして心を清く保って行かれるのです。
イエス様の言葉に従っていくなら、失敗をやり直せて、しっかりとした土台の上に人生を築けます。そして、大丈夫だという納得を持てます。神様が頷かせて下さるのです。
この5章は祭りの中で起こった出来事を伝えています。祭りでは、みんなが賑やかな方に出て行きます。しかし、イエス様は、病人の大勢いるベテスダの池にやって来ました。悩み苦しむ人に、慰めを届けに行かれたのです。その要求や願いにピッタリ答えてくださる方なのです。イエス様は、一番病気の重い人のところにやって来ました。そして、「良くなりたいか」と訊ねました。それは、どれだけ真剣に治りたいのかを訊ねたのです。ぜひお願いしたい、という信仰を生み出すのです。
イエス様の言葉に従うなら、イエス様が力を与えて下さるのです。「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と言われました。私が恵みを与えるから、起き上がりなさい、と声をかけたのです。「床」は今までやっかいになっていたものです。習慣になっていたものを断ち切るのです。そして、歩きなさいとは、新しい恵みで日常生活を送ることです。
彼は信じて立ち上がりました。そして、すぐに治ったのです。「しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と語られたのです。罪は人を臆病にします。しかし、罪を赦された人は、罪の記憶はあっても心の痛みにならず、任せきって生きる時に謙虚になります。
イエス様は、頼り来る人を保ち、守り、支えてくださいます。コブラやサソリのいるインドで、イエス様は私を守ってくださいました。イエス様の言葉に信頼し、罪を繰り返すことなく、知恵と平和と喜びをもって生きていけるのです。心に主をお迎えする決断をいたしましょう。天国でお会いできますように。