礼拝メモ 7月26日

聖書 マタイの福音書6章25節-34節

 「父なる神」と言ったとき、まず考えなければならないことは、「子なる神」のことです。ヨハネ3章16節には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになった」とあります。これは主イエスのことです。この「ひとり子」という言葉は、「他に同じたぐいのもののない子」という意味の言葉が使われています。イエス様は、特別な意味で神の子なのです。私たちが主イエスによって生まれ変わり、神の子と呼ばれる特権にあずかっているのとは、全く別の意味で神の子なのです。主イエスは、父なる神と同質の方で、神性を持つ方なのです。父なる神は、子なる神と「一つ」であると言われています(ヨハネ10:30)。この父と子の関係がいかに深いものかを、ヨハネの福音書は告げています。

 次に、主イエス様が何度も言われた「(天におられる)あなたがたの父」という言葉を取り上げます。この6章には「父」が12回出て来ます。それは、主イエスの弟子たちに対して「あなたがたの」と書かれている「父」です。私たちの父である神様は、御子の十字架の贖いを信じる者を「子」と呼んでくださる方です(ヨハネ1:12)。そして、子とした者に対する父なる神様の態度は、私たちにとって重要です。

 ヘブル人への手紙12章には、父なる神様が子である私たちに対して「訓練」をしてくださると記されています。その5節から11節までに9回も「訓練」と言われています。レイモンド・エドマンが「人生の訓練」という本を出していますが、そこには、31の項目が現れます。「弟子としても訓練」から始まって、「危険に対する訓練」「敢行の訓練」「暗黒における訓練」「決断の訓練」「晩年における訓練」「中傷に対する訓練」「自己弁護についての訓練」「身体的ハンディキャップにおける訓練」「遅延における訓練」「喜びについての訓練」「信頼性の訓練」「欲望についての訓練」「孤独を通しての訓練」「絶望における訓練」などが続きます。これで半分ですが、私たちは災難だとかついてないなどと言って、父なる神様の訓練を見逃してはいないでしょうか。

 父なる神様のもう一面は、このマタイの福音書の6章にある父なる神様の守りと配慮です。私たちが求める先に必要なものを知っておられ、最善に配剤してくださるのです。全能の神様が用意してくださるのですから、心配しないで、委ね、信頼していきましょう。

 佐藤勉氏は、真珠湾攻撃の第一潜水戦隊の司令官でした。戦争が終わってから、天皇の人間宣言を聞き、生涯の目標を失います。そして生活の糧を失います。さらに、罪人のように白眼視され、不公平に泣きます。しかし、このマタイの福音書5章45節を読んだとき、「父なる神様こそ、私を公平に見てくださる神様である」と教えられ、感涙にむせぶのです。そして、悔い改め、信仰の道に入り、聖書を学び、聖書配布運動に身を献げました。

 父なる神様と御子イエス様の結びつきは深く、強いのです。そして、父なる神様は、御子を大事にする人を大事にしてくださいます。空の鳥も野の草さえ、御父は配慮して生かしておられます。まして、私たちを忘れることがありましょうか。その愛に身を委ねて、信頼して生きていきましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ