礼拝メモ 7月19日

聖書 ルカの福音書1章26節-38節

タイトル 「全能の神を信ず」

 神がこの世界を創造したとき、秩序あるものとして造られました。そこには、いろいろな法則を定め、それに沿って創造なさったのです。ですから、私たちの生きている世界はとても複雑です。詩篇に、「わが神、主よ、何と多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと私たちへの計らいは」とあるとおりです(詩篇40篇5節)。また、こうも記されています。「神よ、あなたの御思いを知るのはなんと難しいことでしょう。そのすべては何と多いことでしょう。数えようとしても、それは砂よりも多いのです」(詩篇139篇17-18節)。

 さて、今朝は、全能の神という点に進みます。このルカの福音書1章は、マリアが妊娠して男の子を産むことが告げられた箇所です。とまどうマリアに、御使いガブリエルは「神にとって不可能なことは何もありません」と語りかけます。神の計画は、神がその全能の力をもって行ってゆくことが示されています。

 福音書には、金持ちの役人が永遠のいのちを得るためにどうしたらよいのかと、イエスに質問したときにも、似た言葉が語られました。「人にはできないことが、神にはできるのです」(ルカ18章27節)。この言葉を証しするかのように、この記事のすぐ後に、金持ちのザアカイの救いが記されています。

 聖書の中で、最初に「全能の神」という言葉が現れるのは、創世記17章1節です。99歳のアブラハムに語られた言葉です。イサクの誕生の予告がすぐ後に続きます。「主にとって不可能なことがあるだろうか」と語られます(創世記18章14節)。そして、100歳のアブラハムにイサクが生まれるのです。

 ここには、神がご自分の性質に従って立てた計画をなさるのに、不可能がないことが示されています。

 旧約聖書には他にも、同じような言葉があります。エレミヤがアナトテにある畑を買うということに違和感を感じて祈ったとき、神は、確かにイスラエルはその罪のために滅ぼされるが、また「彼らを集めてこの場所に帰らせ」る時が来ることのしるしとして、畑を買わせたと言われます。その中で、エレミヤが「あなたにとって不可能なことは一つもありません」と言い、神ご自身が「わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか」と言われるのです(エレミヤ32章17節、27節)。

 神がお立てになった計画はまちがいなく実行する力を持っておられること、その計画が人間の目に現実味がなく、不可能に見えても、神はなし得るのです。

 天地を創造した無限の力と知恵をもっておられる神が、人間の救いのために驚くような方法を考えたのです。それが、御子イエスが人間になるという方法です。そして、マリアにその母となるという役目を任せたのです。それが「神にとっては不可能なことが何もありません」という励ましの言葉となったのです。

 ヨブ記には、30回も「全能者」という言葉が出て来ます。神が嵐の中からヨブに語りかけたとき、ヨブは答えます。「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました」と(ヨブ記42章2節)。

 私たちは、この全能の神の前に生きていくのです。この神様が私たちの歩みをみ守り、助けてくださるのです。感謝ではありませんか。

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