礼拝メモ 7月12日

聖書 創世記1章26節-31節

 天地を造られた方は、人間をも造られました。そのことが26節以下に記されています。この1章には、同じ表現がいくつもあります。「神は仰せられた」「神は良しと見られた」「夕があり、朝があった」そして「すると、そのようになった」です。

 「神は仰せられた」とは、神が人格を持つ方、英知をもって計画を立てられる方であることが見られます。「夕があり、朝があった」は、区切りを表す言葉ですが、この世界に秩序というものがあることを示しています。「すると、そのようになった」とは、神の御心が成し遂げられる様子を表しているように思います。

 「神は良しと見られた」は、神がご自分のみ業を評価して満足している言葉です。神は善なる方です。造られた世界は良いものでした。そこには悪いものはなかったのです。しかし、今私たちの周りには悪いものがあり、私たちの心にも悪いものがあります。このことの説明は別の時にすることにして、今朝は人間が造られたことに焦点を絞ってお話しします。

 26節に「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」とあります。ここには、三位の神が人間を創造するために考え、計画を立てたことが表されています。「われわれ」とありますが、「造ろう」は単数形です。

 神の「かたち」と「似姿」とはどういうことでしょうか。聖書にその説明はありません。考えられるのは、神のように霊的な存在として、人格をもつこと、考えたり、反省したり、自由に主体的に生きる者であるということでしょう。また、道徳的な面を持つこと——愛に生き、正義を行い、真実であるということです。これは、聖霊が内住しておられることによって成立する恵みです。

 人間には使命が与えられました。それは、「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ」というお言葉に表されています(28節)。残念ながら、現在の世界は、人間の横暴のために自然は破壊され、温暖化が進み、海洋は汚染されています。神との交わりと共労がなくなったためです。

 造られたばかりの人間は、非常に洞察力のある存在でした。2章には動物に名前を付けたことが記されています(19-20節)。これは地を従えるための第一歩だったでしょう。判断力、表現力も優れていました。神様の恵みです。そして、神様は、生きていくための食物についても配慮してくださいました。エデンの園には、豊かな果樹がたくさんありました。またエバの創造で「ふさわしい助け手」は、アダムの相手として、パートナーとして同等の存在、同質の存在を意味しています。これは、助け合って行くことが含まれています。神の愛の現れである、エバの創造です。

 詩篇139編13節には、「あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です」とあります。ここに、私たちの生まれてくるための神のみわざが表されています。私たちは、私たちを造られた神の前にどう生きるべきかを問われるのです。先祖を尊ぶことはその次になるのです。

 人間が神のかたちに造られ、人格を持つ者として造られたことは、神の愛のなさった恵みです。神との交わり、賛美を、そして愛をもって毎日歩みましょう。これこそ、人間としてふさわしい生き方です。

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