礼拝メモ 7月5日

聖書 創世記1章1節-25節

今月は使徒信条を学んでいきます。今朝は、「天地の造り主」である神様のすごさを思い巡らしたいと思います。

 聖書を開けた冒頭にある「はじめに神が天と地を創造された」の宣言は、印象的です。まず、使徒信条を告白するとき、その背後に聖書のお言葉があることを忘れないようにしたい。この「創造する」という言葉は、神だけに使われています。神は永遠の存在です。その神が「天と地」を創造したのです。創造される前には、何もなかったのです。天も地もなかったのです。もちろん、生けるもの、そして人間もいなかったのです。

 このことから浮かび上がる意味を考えてみましょう。

 まず、神は生ける神であるということです。人格をもち、意志を持っている方です。知恵があり、力がある方です。目には見えませんし、手で触れることもできませんが、実在する方です。

 造られたものをよく観察すると、造り主が理解できます。山室軍平の言葉を引用します。「私どもは、この両の目でまことの神様を見ることはできないけれども、そのお造りになされた天地万物の広大なるを見て、まことの神様の広大無辺なることを知り、その月星のつり合いから、(また)人間のからだの組み立てに至るまで、よろず抜け目のないところを見れば、神様の御知恵を思い、その悪しき者にも善き者にも一様に日を照らし雨を降らしたもうを見ては、その御愛心の深いことを感じ、人間のまごころに善悪是非を判断する力を下されてあるのを見ては、神が正しいお方であるのを悟ることができる。」パウロは、「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物をとおして知られ」ると語っています(ローマ1:20)。

 神の創造は、無からの創造でした。天地の創造は神様のオリジナルな業です。だれかに催促されたのでもなく、何かに触発されたのでもありません。それは、栄光を現すためになされたのです。その栄光をともに味わうために人間が作られたのです。

 また、造られたものは、神によって支えられています。逆にしていうならば、造られたものが神に拠り頼むことは、当然のことであり、神の喜ばれることです。神様がこの世界を支えています。生かし、秩序を与えています。「生ける者すべては神の御手の内にある。神が太陽を輝かせ、雨を降らせる。鳥を養い、花を装わせる。私たちのいのちをはじめ一切のものが真実なる創造者で統治者であられるお方に依っている」のです(ジョン・ストット)。

 「地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの」と詩篇にあります(24:1)。自然保護の土台は神のものを大切にするという発想にあります。パウロは言いました。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です」(使徒17:24)。このことを認め、神のもとに身を低くして「私はあなたのものです」と告白する者となりましょう。聖餐式は、その告白をする良い機会です。十字架の主イエスの恵みを感謝して、造られたものとして生きていきましょう。

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