礼拝メモ 6月28日

聖書 ルカの福音書16章14節18節

 今朝は上半期を締めくくる聖日となりました。みことばについて、主が語られた言葉を思い巡らします。

 17節のことばです。「しかし、律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうが易しいのです。」天地が滅びることを考えてみて下さい。そう簡単に滅びるものではないでしょう。しかし、聖書には、どう書かれているでしょうか。

 ヘブル人への手紙12章27節を開いて下さい。「この『もう一度』ということばは、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるもの、すなわち造られたものが取り除かれることを示しています。」その後には、揺り動かされないものが「御国」であることが明記されています。造られたものである天地は揺り動かされ、取り除かれるのです。しかし、律法の一画も落ちないのです。この対比を考えて下さい。

 もう一カ所は、ペテロの手紙第二の3章です。そこにも、天地の滅びる日のことが記されています。「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。…その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」ここには天地が火によって燃え尽き、新しい天地が造られることが記されています。天地が滅びるとは恐ろしいことですが、全能の神によってなされる審判です。しかし、その時も、律法は変わらないのです。

 律法の「一画」とは、ヘブル文字の形に現れるもので、ひらがなの「て」のようにとがった所のある文字と「つ」のように曲がっている文字の区別を言っています。それぞれの違いは、意味や別のことばになります。そういう小さいけれども重要な意味を持つ律法が、天地よりも重要であることを、主イエスは教えておられるのです。

 ルカの福音書21章33節にも、同じような表現があります。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」ここでは、律法ではなくイエス様のことばが対比されています。天地よりも大事なものとしての律法やイエス様のことばを、私たちは聖書の中に持っているのです。まず、このことに心を留めて下さい。

 星野富弘氏の詩に、こういうのがあります。「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」天地よりも大切なものとして、律法やイエス様のことばがあることを知った私たちは、聖書をどれほど大事にしているでしょうか。

 聖書を読み続けましょう。分からない事は、どんどん聞いてください。一緒に考えようではありませんか。そして、聖書を読みつつ、イエス様にお会いし、話しかけ、お言葉を聞き、ともに歩んで行きましょう。

 この尊い聖書に仕え、このみ言葉を伝える人が起こされるように、お祈りしていきましょう。この高知から救われる人が起こされ、天に喜びをもたらす恵みの働きがなされていき、み言葉のすばらしさに心を躍らせる日々でありますように。

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