礼拝メモ 6月7日

聖書 使徒の働き11章1節〜18節

 先週はペンテコステの恵みをシモン・ペテロを中心に思い巡らしました。勇気と力、愛と赦し、主の臨在と同行が、恵みとして浮かび上がってきました。このような恵みはユダヤ人だけに限られたものなのでしょうか。そこで使徒の働きを読み進みますと、他の地でもこの恵みが注がれているのが分かります。その中で、今日は10章と11章を読んでみましょう。

 ここに登場するコルネリウスという人は、「イタリア隊の百人隊長」でした。これは、ローマの駐留軍の指揮官を表しています。彼らはローマの平和を守る重要な任務がありました。ですから、慎重に選ばれる品位のある人たちです。新約聖書には、何人か百人隊長が現れますが、イエス様にその信仰をほめられた人もいました。

 コルネリウスはローマ人としても尊敬できるだけでなく、神を恐れる敬虔な人でもありました。割礼を受けてこそいませんが、ユダヤ教に親しみ、その習慣を守り、善行に励んでいました。このような人に、御使いが遣わされてきました。御使いはペテロを紹介しました。福音は人間が伝えなければならないのです(ヘブル1:14を参照)。

 さて、ペテロですが、食事時に夢心地になり、幻を見ました。大きな敷布のようなものにいろいろな動物が入っているのが、彼の目の前に降りて来て、「ペテロ、屠って食べなさい」という声が聞こえたのです。その動物にはきよい動物も汚れた動物も入っていました。ペテロはユダヤ人の習慣で汚れた動物を食べることはできないと答えますが、「神がきよめた物をあなたがきよくないと言ってはならない」と天からの声がしました。これが三度繰り返されました。ちょうどその時、コルネリウスの使いの人たちが、ペテロの泊まっていた家に着いて、ペテロを訪ねたのです。

 ペテロは幻の意味を考えていたときでしたので、三人の使いの人たちが外国人であるのを知って、神の御心を確信します。「神は私に、どんな人のことも、きよくない者であるとか汚れた者であるとか言ってはならないことを、示してくださいました」(10:28)。ペテロは三人を泊まらせて、翌日コルネリウスの家に行きます。そこには、コルネリウスの家族だけでなく、親族、親しい友人が待っていました。そこでペテロは、主イエスの福音を語りました。すると、聖霊が注がれました。あのペンテコステの日のような情景がそこにありました。ペテロは彼らに洗礼を授けました。

 コルネリウスが受けた恵みとは、何だったのでしょうか。まず、福音を経験したペテロが来てくれたことです。そして、福音の中心であるイエス・キリストの死と復活が語られ、信じる者が罪の赦しを受けられると聞かせられたことです。コルネリウスたちは、これを真心から受け止めました。すると聖霊が注がれたのです。彼らは神を賛美しました。救いの証しとしてバプテスマ、すなわち洗礼を受けたことです。そこには、ユダヤ人と外国人の区別がないことが証しされたのです。

 コルネリウスが洗礼を受けるに至ったことは、外国人である私たちがイエス・キリストを信じて救いを受ける先駆けであったと言えます。イエス・キリストを信じて、永遠のいのちをいただけたことを感謝します。

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