礼拝メモ 5月31日

聖書 使徒の働き2章1節〜14節

 今年のペンテコステの日を迎えました。1節の「五旬節」のもとになった言葉がペンテコステです。この日は、大麦の刈り入れから小麦の刈り入れに変わる時の収穫感謝の意味がありました。また、出エジプトの記念や律法をシナイで受けた記念の意味もありました。それが、この日の出来事によって、新しい意味を持つことになったのです。それは、聖霊が注がれたことでした。そのため、この日を聖霊降臨日と呼ぶことがあります。

 さて、そのペンテコステの日に弟子たちに注がれた恵みを取り上げます。今朝は、三つにしぼってお話しします。

 まず、この2章で目立つのは、ペテロの大胆さです。14節に「ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた」とあります。

 イエス様が逮捕された夜、後をつけたペテロは大祭司の庭まで入って行きました。そこで、女の人や男の人に、お前もイエスの仲間だろうと言われ、鶏が二度鳴く前に三度イエス様を知らないと言ってしまいました。そして、イエス様の言葉を思い出して、男泣きに泣いたのです。それは、自分も捕まえられるという恐怖からの否認でした。ところが、この2章では、大胆にも、声を張り上げています。全然こそこそしていません。彼には、イエス様が救い主であるという確信があったのです。聖霊の力によるものです。

 さらに、彼の説教の最後は、「神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」と人々に語りました。その直後です。「それぞれ罪を赦して」いただきなさいと、勧めます。「救い主を殺したのだから、おまえたちは滅んでしまえ」ではないのです。赦されることを知ったペテロが、彼らに赦しを示したのです。罪をもったままなら、滅びですが、赦しの福音を語ったのです。何という愛でしょうか。この愛こそ、聖霊が注いで下さる恵みなのです(ローマ5:5)。

 私たちが周りの人を見て、この人も救われるといいのに、と思うことはないでしょうか。それは、聖霊が愛を注いでいて下さる思いです。

 三つ目の恵みは、主の臨在を知ることです。2章の最後に、こう書かれています。「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」と(47節)。弟子たちはイエス様が生きて働いておられることを知ったのです。イエス様は天に帰る前に、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」と約束されました(マタイ28:20)。また「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」と約束されました(マタイ18:20)。ペテロたち、弟子たちは、イエス様がともにおられることを実感していたのです。

 今、コロナウイルスのために不安を感じる人があるなら、このイエス様の恵みを求めるとよいと思います。聖霊は、確信を与え、力と大胆さを与えます。また罪の赦しを願う愛を与えます。そして、イエス様の臨在を示してくれます。心配な人は、祈ることです。イエス様は、祈りに答えてくださるからです。そして、平安をお与えくださいます。聖霊は、イエス様の恵みを分かち合ってくださる方です。すばらしい恵みを感謝します。

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