礼拝メモ 11月24日 最後の勧めと挨拶
聖書 ローマ人への手紙16章17節-27節
今年は一月からローマ人への手紙に取り組んできました。罪の問題、信仰による義認、聖化、ユダヤ人問題、教会生活など、だいたいの内容がつかめたでしょうか。今日は最後の段落です。
16章はローマにいるクリスチャンへの挨拶で始まりました。28名の名前があげられていました。ところが、ここに短い「勧め」が入ります。それもずいぶん強い調子の勧めです。これは、パウロが各地の教会を回っていて、特に注意しなければならないと考えたことなのでしょう。
教会は外からの攻撃だけでなく、内側から曲がったことを言う人が現れることがあるのです。そのような人にローマの教会が乱されないようにという配慮です。彼らの言葉は、「なめらかなことば」と書かれています。いわゆる甘いことばです。どんなに甘い誘いにも乗ってはならないのです。彼らの本心は、自分の欲望の満たしです。それを見破ることができる霊性を身に着けることが大切です。どんなことがあっても、十字架に示された愛の主から離れないことです。サタンは滅びるのですから。
パウロは、自分の周りの人たちからの挨拶を書いています。テモテは聖書にも出て来ます。「私の同胞、ルキオとヤソンとソシパテロ」については、ユダヤ人であることがわかります。ソシパテロは使徒20:4に出てくるソパテロと同一人物と考えられます。パウロの旅仲間です。
22節の「テルティオ」は、この手紙を筆記した人、パウロの信頼を得た人物です。この名前は「第三の」という意味で、奴隷から解放された人のようです。そして、ローマの教会の人にも知っている人があったのでしょう。自分から、「この手紙を筆記した私テルティオも、主にあってあなたがたにあいさつ申し上げます」と丁寧に書いています。主の恵みによって変えられた人生を証ししている、幸いな自己紹介だと思います。奴隷から解放され、クリスチャンになり、パウロと出会い、その手紙の書き手になれたのですから。
23節には「ガイオ」の名があげられています。「私と全教会の家主」と書かれています。コリントの教会の世話役的な人だったのでしょう。裕福な人で、パウロをもてなしたことがあるのでしょう。「市の会計係エラスト」はコリントの町の重要な役職にあった人のようです。
最後に、「兄弟クアルト」は、「第四の」という意味の名前です。この人も奴隷上がりの人でしょう。奴隷だった人も高級な官吏も、等しくパウロの周りにいたのです。分け隔てのない交わりはすばらしいです。このような愛の交わりは、神のみことばが元になっています。聖書を読み、信じ、実行しましょう。そこに、すばらしい御国の味わいがあるのです。