礼拝メモ 11月10日
聖書 ローマ人への手紙16章1節-16節
タイトル 「信仰の友たち」
この箇所には28名の方々の名前が書かれています。分かる範囲でこの人々の信仰から学んでみましょう。
1−2節に書かれている「フィベ」は、どんな人だったのでしょうか。「ケンクレア」とはコリントの近くの港町です。そこにあった教会で奉仕者として尽くしていました。「奉仕者」とは、病気の人や貧しい人の面倒を見る人で、時にはそのために教会の人から物やお金を集めて持っていく人でした。また「支援者」とは、宿を提供したり、病気の時に世話をしたりする人、あるいは経済的支援をする人です。
フィベがコリントにやって来た時、パウロはローマに行くのなら、この手紙を届けてほしいと依頼したのでしょう。でも、パウロは何人もの人がローマに行くのに、どうして女性のフィベに依頼したのでしょうか。たぶん、フィベはピリピにいたリディアのような資産家、実業家だったのではないかと思われます。そして、教会の中で真摯に奉仕をしていることを知っていたパウロは、この女性を信頼して手紙を託したのでしょう。
パウロが「あなたがたの助けが必要であれば、どんなことでも助けてあげてください」と言ったのは、それだけの価値のある奉仕者であることを表しています。
3−5節にかけて、パウロは「プリスカとアキラ」について書いています。この二人は、使徒の働きにも登場した人たちです。皇帝がユダヤ人をローマから退去させた時に、コリントに来たのですが、たまたまパウロと出会い、一緒に仕事をした仲間です。たぶん、この二人はローマでクリスチャンになったのでしょう。二人はローマの教会についてパウロに語ったのではないでしょうか。
ここには、パウロの「いのちを救うために自分のいのちを危険にさらし」たことが記されています。もし彼らが自分の首を差し出さなかったら(危険にさらすのもとの言葉)、パウロは死んでいたというのです。もしそうなったら、異邦人の教会はずっと後になって生まれたことでしょう。宣教の前進に尽くしたパウロの存在の背後に、この二人の命がけの奉仕があったのです。これは、私たちも感謝しなければなりません。
他の人たちについては、奴隷がいたり貴族がいたり、ローマ教会の成り立ちがわかるような、挨拶の連続です。そして、「よろしく」と何度も語っています。この言葉は、「抱擁して平安を祈る」という挨拶が元になった言葉です。礼拝が終わると、互いにこの挨拶を交わして、それぞれの家に向かったのです。私たちも、礼拝に集まったとき、まず主を見上げ、感謝の思いを告げ、礼拝を守り、終わったら挨拶を交わす、そんな姿を描きたくなるローマ教会への挨拶です。