礼拝メモ 11月3日 パウロの願い

聖書 ローマ人への手紙15章22節-33節

タイトル 「パウロの願い」

 パウロは、福音の恵みを語りおえて、個人的な願いを書いています。ここには三つの地名が現れます。それぞれについて考えてみましょう。

 まず、パウロが「あなたがた」と書いているローマの教会です。シリアやギリシアで伝道してきたパウロは、帝国の中心であるローマに行きたかったのです。それには、「あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」(1:12)という願いがあったからです。そのために、初めて訪問するローマの教会に、自己紹介の手紙を書いたのです。その内容は、クリスチャンならだれでも信じている信仰による義認について、人の罪から書き始めて、聖霊による勝利の生活、そしてユダヤ人の救いについて書き、12章からは教会の中でのクリスチャンのあり方を書いたのです。

 もう一つの理由は、「もうこの地方に私が働く場所はありません」という思いが強かったからです。それは、「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:16)のキリストの命令に従いたい、そのために「イスパニア」、現在のスペインにまで、つまり西のはずれまで福音を宣べ伝えたいという願いです。そのために、ローマの教会の協力がほしかったのです。

 これで、二つ目の地名、イスパニアとの関係が明らかになりました。

 最後に、エルサレムについて、パウロは複雑な気持ちで書いています。

 パウロは教会を迫害した過去を持っています。ですから、ダマスコの近郊で主イエス様の光を受け、回心したのですが、異邦人との接触をきらうユダヤ人には裏切り者と思われ、憎まれていました。

 また、異邦人の献金を届ける働きが、エルサレムの教会に受け入れられるか、不安がありました。その献金を受け取ると、エルサレムの教会が周りのユダヤ人に憎まれることになる危険もありました。

 それでもパウロはエルサレムの教会に異邦人教会からの献金を届けたいのです。それは、異邦人の教会とエルサレムの教会が同じ主の恵みを分かち合っている証しだからです。

 26節には「喜んで援助する」異邦人教会のことが伝えられています。この「援助」という言葉は、コイノニアというギリシア語です。この言葉はふつう「交わり」と訳される言葉です。つまり、援助を通して「恵みを分かち合う」意味があるのです。

 そのために、パウロは、危険を感じて祈りの共闘を願います(30節)。その祈りは、パウロの思っているような形ではかなえられませんでしたが、エルサレムからローマまで、パウロは旅をしたのです。彼の思いは別の形で現実になりました。彼の心は「キリストの祝福に満ちあふれて」いたことでしょう(29節。

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