礼拝メモ 10月13日 異邦人の救い
聖書 ローマ人への手紙15章14節-21節
パウロは、私たちが神の恵みにより、十字架の救いをいただけると語ってきました。そして、恵みにあずかった人がどのように神に応えていくかが随所に語られていました。12章以下には、クリスチャンの群れとしてのあり方が語られています。信仰を義と認められた者たちが、自分のからだを主に献げて、主のものとなって生きるべきであると語られています。15章の13節で、その問題が一段落します。
「私の兄弟たちよ」という呼びかけは、改めて次の話題に移ろうとしていることを示しています。この手紙を書いた理由からこれからの予定などが書かれています。
まず、パウロは、14章から書いてきた信仰の弱い人、強い人の和解ができることを述べています。「互いに訓戒し合うことができる」と確信しています。
次に、自分が書いてきたことを振り返っています。「もう一度思い起こしてもらう」と言っているのは、パウロがまだローマに行っていないことを考えると、クリスチャンとして当然の信仰内容について語ってきたということでしょう。
当時は、口述筆記という方法で書かれたものと考えられます(16:22参照)。ここまで書くのに何日もかかったでしょう。一段落して読み直して、「私は所々かなり大胆に書きました」と言っているわけです。彼が大胆に書けたのは、神の恵み(15節)のゆえでした。
その恵みは、パウロを異邦人の使徒とした恵みです。この務めについて、「祭司の務め」と言っています。12章1節にあった、「神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として」献身するように導くことが、彼の使命だと理解していたのです。
この献身によって異邦人が神に従順になると、パウロは考えていました。信仰の従順は、すべてを献げた者の特徴と言ってよいでしょう。従順の現れは、教えられやすいことです。Teachableという言葉を蔦田二雄先生は使っていました。
パウロは、それを目指して、エルサレムからイルリコに至るまで巡り歩き、キリストの福音を伝えたと述懐しています。東から西の境界まで伝道したと言うことでしょう。
そこには、パウロの意図があります。「ほかの人が据えた土台の上に建てないように、キリストの名がまだ語られていない場所に福音を伝えること」です(20節)。
パウロは開拓者でした。異邦人の救いのために真剣に戦ったのです。
最後に、パウロはイザヤ書52章の最後の言葉を引用します。「彼のことを告げられていなかった人々が/見るようになり、聞いたことのなかった人々が/悟るようになる」。パウロは東奔西走したのです。いのちを献げて、異邦人の救いのために戦ってくれた人です。その恩恵にあずかっている私たちは、すべてを献げ、主のみこころに従順に従って生きていきましょう。