伝道会メモ 10月6日 神の子とされた特権

聖書 ガラテヤ人への手紙4章1節-15節 (大兼久芳規先生)

 子どもの立場から、両親の諍い(いさかい)は嫌な(いやな)ものです。でも、両親が教会に行くようになり、こわかった父がこわくなくなったのです。神様がいなくても幸せになれると言っていた父が、神様によって変えられたのです。

 さて、聖書では、私たちのことを何と言っているでしょうか。ガラテヤ人への手紙から学んでみましょう。

 まず、私たちは奴隷状態にあると、語っています。「もろもろの霊の下に奴隷となっていました。」「本来、神ではない神々の奴隷でした。」「あなたがたは、いろいろな日、季節、年を守っています。」つまり、罪から抜け出せない状態だったのです。そこから解き放つイエス様の恵みによって、神の子とされるのです。がんじがらめになっていた状態から、解放されるのです。

 子とされた者は、神に知られているという平安があります。

 たとえ災いと思われることも、子として知られているので平安です。ある牧師が骨折をして入院しました。枕元に聖書を置いて、時々読んでいました。その聖書を見た麻酔科の医師が、「あ、聖書だ、読みたかった」と言い、教会に行くようになり、イエス様を信じたのです。入院と言えば、普通はみじめな事と考えるかもしれませんが、この牧師さんにとって、こんな弱い時に神様が用いてくださるとは、何と幸せなことか、と感謝したのです。

 子であるとは、父なる神様をいつでも「父よ」(6節)と呼ぶことができることです。安心して、祈りたい時に祈れるのです。

 ある牧師さんの経験です。「私の父は、夕食の時、のどにつかえて入院しました。翌日には、召天しました。ちょうど、東京の会議のために切符をとってあり、上京した時でした。葬儀もすることができました。神様は知っていてくださったのです。安心して生活しています。」

 神の子とされるとは、なんと安心なことでしょう。いつでも、知っていてくださる父なる神様に祈れるのですから。イエス様は、私たちが神の子としての身分を受けることができるようになるために、天から降り、十字架で死なれたのです。何と幸いな恵みでしょうか。「イエス様、ありがとうございます。私も神の子にしてください。と祈りましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ