礼拝メモ 9月22日 神の国に生きる

聖書 ローマ人への手紙14章13節-23節

 ローマ人への手紙14章の後半は、信仰の強い人を意識した語りかけになっています。13節の「互いにさばき合わないように」という勧めは、12節までのまとめの言葉です。14節以下は、信仰の強い人に向けて書かれています。パウロは自分も信仰の強い人に入ると考えています。そして、その人たちの取るべき態度について書いていきます。

 まず、「それ自体で汚れているものは何一つありません」と言っています(14節)。レビ記に記された食べてはならない動物のことが背景にあるのでしょうか。あるいは、偶像に献げた肉のことでしょうか。それとも、「野菜」主義の人のことがあるのでしょうか。この言葉は、イエス様が、「外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。心の中から出て来るものが、人を汚すのです」と言われたこと(マルコ7:25)、また使徒10章にあったペテロの経験(「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」10:14)が根拠となる言葉です。

 しかし、自分の今までの知識や経験から、何でも食べて良いと言われても、心が落ち着かない人たちがあったのでしょう。そういう人(信仰の弱い人)の前で、自分は自由なのだと、何でも食べている姿をさらすのは、どうか、という問題です。

 強い信仰者は、弱い信仰の人をつまずかせることがないように、彼らの「心を痛める」ことがないように、配慮することが求められています。パウロは「キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください」と言っています(15節)。

 その後、有名な言葉が現れます。「なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです」(17節)。強い人も弱い人も、この神の国にあずかるのですから、滅ぼすようなことをしてはならないのです。

 以前の訳では「聖霊による」が喜びの前にありましたが、新しい訳は義も平和も喜びも聖霊によることをはっきりと示しています。これが正しい位置に置かれた訳と言えます。

 20節には「食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません」とあります。神のみわざとは、信仰の弱い人たちを育てる働きです。信仰の強い人たちが見落とさないように、パウロは神の御業を思い出させています。そして、「すべての食べ物はきよいのです」と14節の言葉を言い直しています。神様の働きに参加することができるかのように話します。

 この段落で、積極的に語られているのは、19節です。これは、聖霊の働きによる義と平和と喜びを味わう人たちに、「お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう」と勧めます。この勧めをしっかりと心にして、交わりを持って行きましょう。信仰を立て上げることこそ、主のみこころです。

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