礼拝メモ 9月1日 愛と権威

聖書 ローマ人への手紙13章1節-7節

 パウロは、愛に偽りがあってはならないと語りました。そして、迫害する者ために祝福を祈るように勧め、復讐は神にまかせよと命じました。そして、13章に入ると、権威の問題を取り上げます。

 1節には、「上に立つ権威に従うべきです」とあります。ここで「上に立つ」と言われているのは、国家的権威のことですが、会社にしても学校にしても家庭にしても、上に立つ権威が存在します。神様は、人間の世界にこのような制度が存在することを許しておられるのです。しかし、権威を持つ者が何でもして良いのではありません。立てられた方の許容範囲で支配しなければなりません。そうでなければ、アッシリアやバビロンのように滅ぼされてしまうのです。

 もともと、この「権威」という言葉は、エクスーシアというギリシア語の翻訳ですが、その原意には「許容された」という意味があるのです。当面の理由で立てられているのであって、神が支配をしているのです。その意味で、「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです」という言葉は重要です。

 旧約聖書では、アッシリアやバビロニアがイスラエルを滅ぼすのに用いられました。これらの国も神の御手の中にあって許容された権威でした。エレミヤは、そのためにバビロンに下ることを恐れるな、そこで栄えることができると預言したのでした。

 ローマ帝国の中にいたクリスチャンは、ユダヤ人が多かった時はユダヤ人扱いをされて、迫害は受けませんでした。パウロは、自分がローマ市民であることによって、支配者たちからの扱いが緩やかになっていました。

 しかし、異邦人のクリスチャンが多くなると、ユダヤ人一般とは違う扱いを受けることになります。権威に従うことは、良心の問題を含んでいました。ペテロがユダヤの権威のもとに捕らえられてことがありました。その時ペテロは、「人に従うより、神に従うべきです」と言いました(使徒5:29)。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」という態度が大切です(使徒4:19)。

 税金を納めることについては、イエス様が答えています。「カエサルのものはカエサルに返し、神のものは神に返しなさい」(ルカ20:25)。法律に従い、税を納め、権威を尊敬するようにと言われています。イエス様は、「上から与えられていなければ、あなたはわたしになんの権威もありません」とピラトに答えています。

 神様の支配を抜きにして、事が起こることはないのです。地上の支配者の中に神の御手を見る信仰を養いましょう。そして、彼らのために祈る者でありたいと思います(Ⅰテモテ2:1)。御子をお送りくださった御愛に感謝します。

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