礼拝メモ 8月4日 群れを思う
聖書 ローマ人への手紙12章3節-8節
今年はみことばに聴くことを心がけために、ローマ人への手紙を連続して開いてきました。先週は、あなたがたのからだを聖いささげ物として献げなさいと語られました。それを土台にして、パウロは語り続けます。
「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。」彼は他人事としてでなく、自分の事として聞いてほしいのです。まず思い上がってはいけないと勧めます。自分をどう見ているかが問われます。人と比べるのを止めなさい。ありのままの自分を受け入れる事——それが第一に勧められます。
なんでこんな事を言い出したのでしょうか。それは、「あなたがた」という教会の存在があるからです。思い上がりも自己卑下もしてもらいたくないのです。
教会はいろいろなタイプの人が集まります。時には馬が合わない人もやって来ます。でも、福音の真理に立って、心を合わせていくのです。その福音は、私たちがどんな罪を重ねてきたかを取り上げずに、キリストの十字架の恵みによって救ってくださった良い知らせなのです。それぞれが違う存在なのです。「一人ひとりは互いに器官なのです」とあります(5節)。からだのある部分が特別に感じて、他の器官をいらないと言い出すことはありません。互いに仕え合うことこそ、器官の役目です。自分が他の人のためになる、用いられることを喜びとして生きて行くのです。そのことを「群れを思う」と題したのです。
6節から8節に、「賜物」のことが書かれています。それを用いて仕え合う群れ、つまり教会となることが、パウロの願っていたことです。6節には「預言」の賜物です。これは、神のみこころを伝える大事な賜物です。7節には「奉仕」と「教え」の賜物があります。8節には、「勧め」、「分け与える」、「指導」、「慈善」の賜物が記されています。
最後の「慈善」の賜物は、あわれみを表すことです。これらの賜物は、この人はこの賜物、あの人はあの賜物、というようにはなっていません。二重、三重に賜物は与えられているのです。仕え合うということは、みことばに仕え、愛に生きることです。神のみこころを示すみことばを抜きにして仕えることは意味がありません。愛を抱かないで仕えるのは無益です。主は、仕え合う事を願っています。
賜物の用い方の中で、三つの副詞が使われていました。「惜しまず」、「熱心に」、「喜んで」です。これこそ、賜物の用い方を表していることばです。そして、それは、教会内だけにとどまらず、周りの人たちに対しても用いられることが大切なのです。
教会で、お客さんにならず、自分の教会として仕える方法を考えてください。どうしたら、この群れが生き生きと喜んで主を証ししてゆけるかを考え、実行する恵みを求めていきましょう。