礼拝メモ 7月28日 「生きたささげ物」

聖書 ローマ人への手紙12章1節-2節

 12章冒頭の2節を開きました。ここは、1章からの信仰義認、信仰による救い、イエス・キリストの十字架と復活を信じているの「ですから」と、話しが始まります。「兄弟たち」とは、主イエスにあっての兄弟、つまりローマにいる皆さんは主イエスの救いを信じている兄弟たちです、という語りかけです。

 パウロの勧めは、次の行動をとったほうが良いための勧めです。彼は、「あなたがたのからだを…献げなさい」と言います。心ではなく、たましいでもなく、からだを献げなさいと言います。あなたの実体、本体をささげること、丸ごと献げることを言います。いつでも、神に献げて主のご用に使っていただくのです。

 それこそ、神のみこころであり、神に喜ばれることです。「聖なる」とは、神様専用の聖なる道具として用いてくださるからです。「生きた」とは、聖霊によって生かされているからです。

 生きたささげ物となるには、聖霊の助けなしにはできません。イエス様がご自身を献げた時と同じです。「キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになった」(ヘブル9:14)のですから。

 からだを献げるとは、神様に自分のすべての権利をお返しすることでもあります。どんな人生を歩むかをみこころに従って決めていただくのです。そこに真剣な祈りが伴わなければなりません。

 「それこそあなたがたにふさわしい礼拝です。」狂信的な陶酔状態になることではなく、十字架と復活を信じる筋の通った礼拝です。

 2節では、「この世と調子を合わせてはいけません」と勧められています。文語では「この世に倣うな」となっていました。形をまねることで、心まで変わってしまうのです。この世の風潮は、持ち物やお金が多ければ幸い、欲望を満たせれば幸い、愉快に過ごせれば幸いです。考えることができなくなっているのです。

 それに対して、パウロは、「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい」と勧めます。この「新たにする」という言葉には、再び新しくするという意味があります。これは、自分の考えを神様のみこころに合わせる営みが含まれます。マンネリになるのでなく、新しく造られ続けるのです。

 これは、説教する者の戦いでもあります。説教を聞く人たちが、なんとか主のみこころに自分を合わせるように、願って話します。そのために説教者は変えられ続けなければなりません。「渇く者はわたしのもとに来て飲みなさい」とイエス様は招いています。イエス様に渇くことがなくなったら、魂の熱中症になる危険があります。

 だれかの救いを祈り続けることが、私たちをマンネリから救ってくれます。そして、みこころを見分ける力のある円熟したクリスチャンになれます。

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