礼拝メモ 7月7日 「恵みの選び」

聖書 ローマ人への手紙11章1節-24節

 使徒パウロにとって、同胞のユダヤ人が救い主イエス・キリストを信じないことは大きな悩みでした。しかし、神様がユダヤ人を捨て去ったのではないことは、パウロ自身が救われたことから、理解できました。「神は前から知っていたご自分の民を退けられたのではありません。」

 そして、エリヤのことを引き合いに出します。豊穣の神バアルを拝むイスラエル人に、まことの神、主に立ち返るように戦ったエリヤでした。激しい戦いの後、王妃に追われて逃げ出したエリヤでした。洞穴に隠れたエリヤに、神様は「あなたは、そこで何をしているのか」と問います。エリヤは自分の孤独を訴えますが、神様は「七千人」がバアルに膝をかがめないで正しい信仰に立っていると、残された者たちのことで励ましました。

 この「残された者たち」は、エリヤの時代だけでなく、パウロの時代にもいることを、パウロは示されたのです。パウロ自身、残された者なのです。

 パウロは教会を迫害し、クリスチャンに暴力をふるいました。ですから、今救われているのは、ただ恵みによるのです。私たちも、ただ恵みによって赦され、義とされ、子とされたのです。罪のない御子イエス・キリストが身代わりになって十字架につけられたから、私たちは恵みをいただけるのです。恵みの選びにあずかっているのです。

 でも救われなかった人たちはどうなったのでしょうか。パウロは、その事が気になってしかたなかったのです。聖書はなんと言っているでしょうか。「ほかの者たちは頑なにされたのです」と言ったパウロは、旧約聖書の言葉を引用します。ユダヤ人の心が眠りに誘われ、鈍くなっているというのです。

 確かに彼らは頑なにされ、心が鈍くなっていたのですが、そのために異邦人が救いに導き入れられたので、ユダヤ人の心にねたみが起こるのを、パウロは願っています。10章19節に引用されていた申命記の言葉に触発されての願いでしょう。

 いずれにしても、ユダヤ人が不信仰に陥ったために、異邦人が恵みの中に入れられたのです。それをパウロは「世界の富、異邦人の富」と言っています(12節)。

 だとしたら、もしユダヤ人が受け入れられるなら、「どんなにすばらしいもの」になるでしょう(11節)、まるで「死者の中からのいのち」に等しいと、パウロは語ります(15節)。パウロの心には、「かれらのうち何人かでも救いたい」(14節)という思いが強かったのです。

私たちは、異邦人のクリスチャンとして、このパウロの思いを知って、パウロの心に合わせて、彼らが救われることを祈っていきましょう。今、イスラエル人は、少しずつイエス様を信じるようになってきていると聞いています。そのために働いている人たちもあります。主のあわれみが彼らに注がれますように。

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