礼拝メモ 6月30日 『信仰のことば』

聖書 ローマ人への手紙10章1節-15節

 パウロの悲しみは祈りとなり、祈りながら主のみこころを追い求めたのでした。その結果、この章にあるような大切なことを発見したのです。それは、信仰の大切さです。

 その前に、「律法の目指すものはキリストです」という大切な結論の一つも、見落としてはなりません。第3版では「キリストが律法を終わらせられた」と訳されています。イエス様は、律法の定めを完全に守り、成就したのです。そして、律法は救い主を示していたのです。この二つの意味がここにはあります。

 そして、「義は信じる者すべてに与えられる」という大原則が記されています。信仰義認の書と言われるローマ人への手紙です。信じる者に対して、神様は喜びをもって応えてくださいます。ですから、救い主を捜しに天に上ることも、深みに降ることも必要はないのです。すでにキリストは、クリスマスに生まれ、十字架の苦しみを通り、三日目によみがえられたのです。そして、今天に上り、神の右の座についてとりなしをしてくださっています。

 ですから、このキリストのみ業に信頼し、その贖いを信じて、イエスを主ですと告白する人は救われるのです。イエス様が主であることは、その復活によって知ることができます。ですから、パウロは言います。「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるのです。」(9節)

 さらに旧約聖書の言葉で裏打ちをしています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(イザヤ書28:16の引用)「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」(ヨエル書2:32の引用)

 しかし、信じるまでにはいくつかの段階があります。まず、メッセージをもって遣わされる人がいなければなりません。彼がちゃんとメッセージを語らなければなりません。メッセージを聞く人がいなければなりません。聞いた人は信じるのです。「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」(17節)

 ユダヤ人もそのメッセージを聞いたのです。それなのに、信じませんでした。同じことが私たちの同胞にも言えないでしょうか。そこには、自分中心なものの考え方と先入観の妨げがあるように思います。

 聖書はその道案内です。先入観をもたずに、虚心坦懐に聖書に向かってください。そこに書かれている神様はどのような方か、何を望んでいるかを考えながら読んでいくと、神様の前に自分は立てるだろうかと、心に示されます。そこに十字架が用意されているのです。信じることができると、救いにあずかるのです。罪の自覚は、時に、死が怖いということもあります。K先生がそうでした。でも、イエス様の十字架によって、救われるのです。この無代価の救いを喜びましょう。

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