礼拝メモ 5月26日 『贖いの望み』

聖書 ローマ人への手紙8章18節〜25節

 神の子としていただき、神の相続人となった者は、「栄光をともに受けるために苦難をともにしている」と書かれていました(17節)。この段落は、苦難に光を与えています。

 パウロが経験した苦難については、Ⅱコリント11章にいくつも列挙されています。主の福音を伝えるためにどんなに苦難に会っても、それを「取るに足りない」ものとするほど、パウロにとって、「やがて啓示される栄光」は素晴らしいものだったのです。

 そして、苦難はクリスチャンだけのものではなく、「被造物」全体に及ぶものだと、パウロは論じます。被造物とは、神に造られた世界であり、自然界のすべて(動物も植物も宇宙も)を含むものです。被造物は、「切実な思いで」栄光の時を待っていることを語るのです。この「切実な思い」という言葉は、首を前に伸ばして待ちきれない思いで待ち望むことを指しています。

 被造物が待っている「神の子どもたちが現れ」(19節)とは、どういうことでしょうか。これは、神の子どもとなったクリスチャンたちの完成のときのことです。つまり栄光のからだに変えられる復活の日のことです。それは、イエス様の再臨の後で起こることです。その時、被造物も「滅びの束縛」から解放されるのです。その日を待ちつつ、今は様々な苦しみを耐えなければならないのです。パウロはそれを「産みの苦しみ」と表現しています。この苦しみを越えれば、子どもが生まれた喜びを経験できるように、被造物も、将来に待っている、のろいから解放され、栄光に輝く日を待っているのです。

 クリスチャンは、御霊をいただいているのですが、この肉体のゆえに苦しまなければなりません。不便を忍ばなければなりません。ここにも、うめきがあります。パウロは、様々な苦しみに会い、どんなにうめいてきたことでしょうか。ですから、パウロは復活の日を心待ちにしていたのです。

 パウロは、その復活の日を「からだが贖われる」時と表現しています。贖いの完成が迫っているかのようです。ここに、苦しい中でも希望を抱いて進むパウロの姿があります。

 私たちも、様々な苦しみの原因を知り、うめきながら復活の日を待ちます。ヤコブは「忍耐を完全に働かせなさい」と勧めています(ヤコブ1:4)。聖霊をいただいている私たちは、被造物とともにうめきを共有し、同情を働かせることができるのです。

 このように、希望のある苦しみを、私たちは経験しています。自分の身体の老化や障碍に負けないで、希望を持って生きて行きましょう。そして、少しでも苦しみからの解放を求めながら、廻りの人や被造物にも心を用いて生きていきましょう。

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