礼拝メモ 4月14日 「従順の奴隷」

聖書 ローマ人への手紙6章15節〜23節

 パウロは、信仰による義を認められた人の受ける恵みについて語り、罪とどう取り組むべきなのかを考えているのです。6章の前半はバプテスマの意味から罪に死ぬことを、そして新しいいのちに生きることを語り、後半のこの部分では、奴隷をたとえに用いています。

 ローマ帝国には自由人であるローマ人よりも多い奴隷がいました。彼らは生きた財産として、主人に絶対服従の立場でした。それを背景にして、パウロは人間は何かの奴隷になって生きて行くものであることを前提にしています。

 ここでは罪の奴隷、不法の奴隷と従順の奴隷、義の奴隷、神の奴隷を対比しています。「罪の奴隷」という言葉は、イエス様が使っていました(ヨハネ8:34)。そして、罪の奴隷は死に至るのです。しかし、従順の奴隷は義に進み、聖潔に至り、永遠のいのちをいただくのです。

 この「従順」という言葉は、もともと「聴く」という言葉から生まれました。つまり,従順とは聞き従うこと、聴従のことです。従順の模範は、主イエス様にあります。ピリピ人への手紙2章には、賛美か信仰告白か、イエス様の謙卑と高揚が書かれています。その中に、「自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました」(8節)とあります。これこそ、私たちの模範です。

 パウロの書いていることは、順番があるようです。信仰によって義とされた人は、「自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認める」ことから、罪を離れて神に身を献げること、そして、その中で聞こえる神の声に従うこと、と進んでいきます。

 次は、ホーリネスです。「聖潔」と訳されている言葉です。これはプロセスと結果を指している言葉です。神様に聞き従っていく中で聖くなっていくのです。そして、永遠のいのちにあずかっていくのです。

 永遠のいのちは、死後のことではなく、神様が持っているいのちであり、イエス様の復活のいのちです。それは、新天新地に生きるいのちです。それを今、私たちはいただいているのです。そのいのちを活かしていくことは大事です。

 永遠のいのちを活かしてゆくのは、祈ることです。お祈りをしてゆく中で、いのちは豊かにされるのです。ペテロは、言っています。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられる」と(Ⅱペテロ1:11)。また、お祈りをすることは、豊かに注がれている聖霊(テトス3:6)によって可能なのです。神様の備えてくださる恵みは何と大きいことでしょうか。

 神様は聖霊を豊かに注いでくださったのですから、信じ、献げ、聞き従いましょう。そして、お祈りしながら聖くなって、永遠のいのちを満喫したいものです。

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