礼拝メモ 4月7日 『イエスとともに」
聖書 ローマ人への手紙6章1節〜14節
ローマ人への手紙の主題は、神の福音です。神のみこころをないがしろにし、自分勝手に生きてきた罪深い者を、イエス・キリストの身代わりの死によって救い、義としてくださる恵みです。ところが、「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれます」と書いたために、誤解をされてはいけないと、罪の中にとどまるべきではないことを論じることになります。それが、この段落です。
パウロは、罪の中にとどまってはならないことを、バプテスマ、洗礼と関連して論じます。バプテスマは、水に浸り死を経験し、引き上げられて復活を経験する儀式です。そして、この死と復活は、イエス様が十字架の上で死なれ、三日目に死者の中からよみがえったことと符合します。ですから、バプテスマを受けた者は、罪に対して死んだ者だと、パウロは論じます。さらに、イエスとともによみがえった新しいいのちに生きる者だと言います。
クリスチャンは、キリストとともに十字架につけられて死に、キリストとともに生きている新しい人間なのです。その新しさを生活の中に活かし、キリストの復活の証人として生きるように励まし助けてくださるのが聖霊です。
このために私たちがしなければならないことは、三つあります。命令形で記されているのです。
「認めなさい」(11節)が第一の勧めです。「あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。」認めなさいは、信じなさいということです。ギリシア語では、「計算に入れる」という意味の言葉です。主イエスの十字架の死を自分の身代わりと認めて感謝したように、バプテスマを受けたのだから、罪に対して死んだ者と認めて感謝し、イエス様のいのちに生かされていることを認めて感謝しなさい、ということです。
第二は、「いけません」とある禁止の命令です。罪との関わりを切ってしまうことです。弟アベルを殺してカインに神様が言われたように、「罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない」(創世記4:7)のです。罪に荷担してはならないのです。
そして、第三に、「神に献げなさい」です。これは新しいいのちに生きるカギとなります。神様に手足を献げるとは、私たちのすべてを献げること、自分の能力も将来も献げることによって、イエス様のいのちが豊かにされるのです。
すべてを献げた者にとっては、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです」(ガラテヤ2:20)の告白のとおりです。ハレルヤ。