聖書 ピリピ人への手紙4章1節〜7節
タイトル 「主は近いのです」

 今朝は召天者記念礼拝です。先に天に召された人たちと今の私たちにとって、大切なことを語っている聖句を学びましょう。それは、「主は近いのです」というパウロの言葉です(5節)。
 これは、ピリピの教会に集う人たちにあてた手紙の一部です。
 ピリピの教会は、ヨーロッパ最初の伝道で生まれた教会でした。ルデヤというハチキンのような成功した女性、占いの霊に取り憑かれていた少女、そして、牢番の三人が、この教会の最初の信者でした。彼らの証しで人数が増えていき、パウロを助けるために献金を送ることまでできるようになった教会です。
 しかし、ユウオディアとシンティケの二人がウマが合わず、何かというと争いになっていたようです。パウロはそんな二人に「主にあって同じ思いになってください」と懇願します。そして、周りの人たちに二人を助けるように求めます(2、3節)。そんなピリピの教会のために書いたのが、「主は近いのです」という言葉ではないかと思います。
 かつて、Y先生は、この言葉に、主の臨在、主のご同行、主との交わり、主への同化、そして、主の再臨という五つの意味を語っています。
 詩篇119篇150節、151節を見てください。そこには、「悪意を遂げようとする者が近づく」ことへの恐怖を、「しかし、主よ/あなたがそばにおられます」と、近くにおられる主に安全と安心を求めています。主が近くにおられることは、私たちの宝です。
 ヨハネは、主がどれほどそばにおられるかを、「この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられる」と言い表しています(ヨハネ14:17)。この主の恵みによって、ピリピの教会の人たちは一つになることができるのです。また、天に召された人たちは、地上の生活で煩わされることなく、主のそばで、喜びに満ちているのです。
 それは、「いつも主にあって喜びなさい」という勧めにつながります(4節)。いつもそばにおられ、うちにおられる主に、感謝と賛美を捧げていきなさい、そうすれば、いつも主にあって喜べるのです。
 また、「寛容な心」も、そこから生まれます(5節)。これは、満足と他人に対する優しい心です。先の二人にぴったりの恵みです。天においては、この勧めは必要ないかもしれません。
 私は若い頃から、はやく天に召されたいと願いながら生きてきました。でも主は近いのです。つまり、主は迎えに来てくださるのですから、心配することはありません。その日のことを、パウロはテサロニケの教会に書き送った手紙で書き表しています(Ⅰテサロニケ4:13-18を参照)。栄光の日です。
 主は同行二人で伴ってくださいます。またその交わりを楽しむように招いてくださいます。再臨を待ち望みつつ、愛と信仰の歩みをしていきましょう。主は近いのですから。

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