聖書 テサロニケ人への手紙第一 2章13節〜20節
タイトル 「土台である聖書」

 今朝は、私たちの教団、インマヌエル綜合伝道団が創設された記念日です。
 蔦田二雄先生は、昭和20年10月21日、岡山県野馳という村で、信仰の友と一緒に祈り、教団の創設を決めたのです。その前の戦争の時代、200人以上の牧師が捕らえられた中に、蔦田先生もおられました。獄中で、祈りながら生活し、主のご臨在に慰められ、自由の身になったらこの福音(「インマヌエル」神がともにおられる幸い)を伝える決意をしていたのです。
 蔦田先生は、どのような教会を建てるかは、聖と宣の二文字でまとめました。聖は聖書主義と聖潔(聖め)から取りました。宣は宣教から取りました。これが私たちの教団のモットーとなりました。今朝はその聖書主義をお話しします。

 テサロニケの教会は、パウロが短期の伝道の末に生まれた教会でした。彼らの信仰を励ますために書いた、パウロの手紙が二通残っています。その第二の手紙には、彼らが迫害を受けていることが記されています。そのような教会に宛てた手紙で、パウロは感謝をささげています。
 「こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。」(13節)
 その感謝の理由は、テサロニケの教会の人々が、福音を神のことばとして聞き、受け入れたことにありました。ここに、聖書を神のことばとして、信仰の土台にしていた人たちがいました。
 テサロニケの人々は、福音を神のことばとして素直に注意深く聞き、信仰を持って受け入れました。そして、喜びと確信を与えました。彼らは、人間のことばとしてではなく、神のことばとして受け止めたのです。そこには、神のもとから来たことに対する尊敬、そして誤りのないことばであるという確信、さらにこのことばに従うべきであるという権威を認め、今までと違う聖い生活が与えられたのです。
 ある人は、最初の教会の先生から、聖書は神のことばで間違いがないこと、学生時代の教会の先生から、聖書はいのちを懸ける価値があること、神学生時代に教授から、一字一句を正しく解釈すること、この三つの大事な聖書信仰を学んだと、証ししています。
 このような聖書主義(聖書信仰)は、日本福音同盟だけでなく、世界の正統的教会の土台として、交わりと協力のもとになっています。
 パウロは、こうも言っています。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモテ3:16-17)。神がくださった聖書を読もうではありませんか。信仰の土台なのです。

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