聖書 マタイの福音書7章24節〜29節
タイトル 「イエスとそのことば」
山上の説教の三回目です。7章は、「さばいてはいけません」という言葉で始まります。人をさばくとは、判決を自分で出して、相手につきつけることでしょう。こういうことをする人には、「梁」が目の中(ものの見方)にあると、イエス様は言われます。それでいて、人の欠点や弱点を指摘し、非難するのですが、自分の「梁(丸太)」が心の中にあって、ものごとをゆがんで見ているのです。ですから、さばかないためには、まず「梁」を心から取り除くことが重要です。それをしないと、「犬」や「豚」のように、「聖なるもの」や霊的「真珠」が見えない人になってしまいます。その悲しい姿をイエス様は描写しています。「聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります」(6節)。
次にイエス様が言われたのは、「求めなさい」という勧めです。自分の目の中に「梁」があることに気づき、取りのけたいと思う人は、祈りなさい、という勧めです。そうすれば、「天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださ」るのです(11節)。
この父なる神様の愛こそ、黄金律の源です。「してもらいたいこと」をするのは、聖書の基本的姿勢です(「律法と預言者」は旧約聖書を指しています)。
次に「用心しなさい」と語られます。ここでは、見分けることが重要であると、言われています。偽預言者を見分ける方法は、「実」によると教えられています。その例として、21節〜23節の言葉が入ります。つまり、「主よ、主よ」と言いつつ、御心を行わない人たちです。
最後に、イエス様の「ことば」(24節)を通して御心を行う人の幸いを、岩の上に家を建てるたとえで、説明します。マタイはここを簡単に書いています。ルカは、「その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人」と表現します(ルカ6章48節)。
イエス様のことばには、私たちの心を掘り下げる働きがあります。自分の心の状態を知って、祈り、依り頼みつつ進む人は、だんだんと良い家(信仰生活)を築いていけるのです。さらにイエス様の「ことば」を掘り下げるように、学んでゆくことも大切です。岩であるイエス様の「ことば」は、私たちの土台です。それも、生ける土台です。一度ですべてが分かってしまうことはありません。掘り続けて、初めて土台の素晴らしさを味わうのです。
イエス様の言葉を読み続けましょう。ただ目で追うだけでなく、考えながら意味を掘り起こし、ふさわしい答え方を見つけましょう。その時、雨風が押し寄せても、倒れない信仰生活を築いていけるのです。