イエス様はいのちの道を探して歩きなさいと、言われます。
 あるとき、イエス様は、律法の中で一番大切な戒めは何ですか、と聞かれました。イエス様の答えは、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」の二つの戒めでした。「この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっている」と言われました。ですから、主を愛していないことは、第一の罪であり、隣人を愛さない人は、とんでもない罪人なのです。
 愛の反対は何でしょうか。一つは憎むことです。自分の人生に不幸をもたらす神を憎む、という人があります。かれは考え違いなのですが(ヨブの例を思い起こして下さい)、神を愛せない人の姿です。もう一つの、愛の反対は、無関心です。神さまがどんなに愛して下さっているかを知ろうともせず、自分の欲望、お金、地位や体面などを一生懸命求めている人があります。これも、神を愛さない人の姿です。どちらも、一級の罪人です。
 もし、そんな人が神の国に行ったら、そこはどんなに居心地の悪い所になるか考えてみて下さい。神の国は中心に神さまがおられるのです。ですから、神を憎む人も、神に無関心の人も、とうてい長くいたいと思わないでしょう。また、そのような人にとっては、地獄も居心地の悪い所です。なぜなら、しでかした罪、しなかった善を思い起こして、悔いるところだからです。
 神さまは、私たちがそんな人間のままであってほしくないのです。それで、御子イエス様を人として遣わし、イエス様が神と人を愛する生涯を歩まれました。イエス様が十字架にかかられたのも、愛の表れでした。それは、神を憎んだり、無関心だった罪を、イエス様が御自分の身に負われて、身代わりの死を遂げたのですから。このイエス様の死を私のためだったと信じる人は、新しい心に作り替えられて、新しい人生を生きることができるのです。
 そのような人は、神を愛し、隣人を愛します。隣人には、同胞、外国人が含まれます(レビ記19:18と19:33-34を参照)。また、信仰の仲間も愛すべき隣人です(ヨハネ13:34-35節)。家族も隣人です(エペソ5:25-6:4、箴言17:17、Ⅰテモテ5:8)。最後に、敵も愛する対象です(マタイ5:44-45、ルカ6:27-36、箴言25:21、ローマ12:21)。
 御霊の実を結ぶためには、時間がかかります。忍耐が求められます。そして、み言葉に従うことが必要です。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人ともに住みます。」(ヨハネ14:27)日々、イエス様からみ言葉をいただいて歩んでいきましょう。イエス様の愛を喜び、イエス様に信頼してお従いしましょう。そうしてこそ、御霊の実が結ばれるのです。

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