この箇所には、聖霊のくださる恵みの中でも最もエッセンシャルな恵みについて書かれています。それは、愛です。
コリントの教会にはいろいろと問題がありました。その中で、自分の賜物を誇り、他の人を見下す人たちがありました。パウロはその人たちに語りつつ、福音的な考え方を教えました。それが、この13章です。

 聖霊が与えてくださる賜物は、人それぞれであって、主と教会に仕えるために与えられるものです。それゆえ、人と比べて自慢したり、人を見下すのは筋違いなのです。そして、それよりも大切な、だれもがたどらなければならない「道」について、パウロは書いています。それが、「はるかにまさる道」(12:31)なのであり、愛の道なのです。

 13節の短い章ですが、始めに「愛の至高性(優先性)」を語ります。もし、愛がないのに、賜物を用いても、何の価値もないと語ります。
 次に、愛のもつ品性(特徴)を十四挙げます。寛容、親切から始まって、全部で十四もの特質を挙げます。この二つは積極的な面からあげられています。人に対する忍耐と隣人の利益を求める心です。この二つが、右目と左目のようにそろっているでしょうか。
 その後、七つの消極面からの愛の特質が並びます。愛はねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。——どうしてですか。愛は満たされた心だからです。満たされているから、人と比べる必要がないのです。愛は礼儀に反することをせずとは、相手の心に不快な感情を生まないようにし、弱い者の権利を重んじるからです。自分の利益を求めない愛は、パウロの生き方でした(10:24、10:32を参照)。また、それは、イエス様の姿でした。そして、これが、愛の中心になるのです。
 愛は苛立たないものです。詩篇37篇は、この愛の実際を歌っています。愛は主に信頼し、主にゆだねる道です。主が成し遂げてくださるので、腹を立てる必要がないのです。人がした悪を記録(記憶)にとどめません。
不正にあっても覆います。そして、真理を喜びます。神の約束、神の善意をすべて信じます。神の御心がすべて成ることを期待します。すべての逆境に耐えます。

 愛は大きな力です。この道を歩むように、パウロは勧めます。しかし、もともと私たちの内にはこのような愛はありません。ただ、主イエス様の内にある恵みだけが、このような愛に生きるいのちを与えます。イエス様の贖いのゆえに「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」のです(ローマ5:5)。ここに私たちの避け所、私たちの立ち所があります。イエス様は私たちの心を作り替えてくださるのです。「愛を追い求めなさい。」

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