聖書 コリント人への手紙第二 3章12節〜18節

コリント人への手紙第二は、パウロの弁明の書です。3章のこの部分では、福音に仕える務めの栄光は、律法に仕える務めの栄光とを比較して、どんなにすぐれているかを語っている部分です。

「文字は殺し、御霊は生かす」という言葉は、この部分の中心的なものです。
この事を土台にして、二つの務めを対比しています。律法に仕える務めは、「死に仕える務め」であり、「罪に定める務め」であり、その栄光はモーセの顔の輝きのように消え去るものです。

一方、福音に仕える務めは、「御霊に仕える務め」であり、「義とする務め」であり、永続する栄光を伴うのです。

このことから、パウロは、論を進めて、イスラエル人の心にかかっているベール(覆い)に言及します。

「モーセの書が朗読されるとき」、イスラエル人の心にベールがかかっていて理解が鈍くなっていると、指摘します。このことは、私たちがイエス様を信じる前の状態を思い起こすと理解できることです。
私たちは聖書を読んでも、何かベールがかかったように、良く理解ができないのです。

しかし、「人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます」とパウロは論じます。これは当時のイスラエル人に対して言われていることではありますが、まさに、私たちの経験する所です。

罪を悔い改めてイエス・キリストを自分の救い主と信じた時から、私たちには聖書に光が当たって、理解が深まるのです。

この覆いを取り除いてくださるのが、聖霊のお働きです。パウロはそのことに移っていきます。「主は御霊です。主の御霊がおられるところには自由があります。」(17節)ここに、律法では経験したことのない、罪からの自由、さばきからの自由が語られています。

御霊が与えてくださる自由です。クリスチャンはこの自由があるので、おおらかに生きることができるのです。

18節には、この御霊によるみ業がどんなに素晴らしいものであるかが語られています。この節では、⑴信じる者の心にはベールはかかっていないこと、⑵イエス様の栄光を見ること(欄外注を見てください)、⑶イエス様のすがたに変えられて行くことが、書かれています。⑴はすでに語られています。

⑵のイエス様の栄光を見ることについて、ある聖書には、「神の言葉の中に」見ると書かれています。つまり、私たちは、ベールを取り除かれた心で聖書を読む時、聖霊は、イエス様がどんなに素晴らしい方であるかを示し、教えてくださるということです。

⑶については、変えられ続ける経験であることが言われています。イエス様の素晴らしさが分かった時、イエス様に感謝してください。
その交わりによって、私たちは変えられてゆくのです。聖霊様の尊いお働きがある故です。

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