聖書 使徒の働き2章1節〜13節

2000年前、エルサレムの屋上の間で120人ほどの人たちが祈っていました。
すると、突然、音と光が満ちて、弟子たちは聖霊に満たされました。弟子たちは聖霊の力で福音を語り始めました。

ペンテコステの祭りを祝いに来ていたたくさんの人が、集まってきて彼らの言葉に驚いたのでした。なぜなら、彼らが自分たちの故郷の言葉で語っていたからです。

驚く人たちに、ペテロが立ち上がって説明しました。すると、3000人の人たちが、バプテスマを受けて教会に加わったのです。

この聖霊の注ぎはどのような意味があったのでしょうか。まず、これは、イエス様が約束した出来事だったことです。

天に帰られたイエス様が、「助け主を遣わし」た出来事でした(ヨハネ16:7、使徒2:33)。イエス様は十字架で死なれ、三日目によみがえらせられ、天に帰りました。これは、十字架の贖いが認められ、その効力を発揮する時が来たことを表します。

ペンテコステの祭りをエルサレムで祝うために巡礼の旅をしてきた人たちの地名が上げられています。
それは、創世記10章にある、ノアの子孫の住んでいた地域を思い出させます。つまり、ルカがこの地名を書いた意図は、単にあちこちから巡礼に来ていたというだけでなく、全世界の人に福音を伝えなければならない、という意味があったのです。

それで、今私たち日本人も救いをいただくことができるわけです。

3000人の人たちが新しいいのちをいただいたことでした。ペンテコステの祭りは、モーセが十戒と様々な戒めをシナイ山でいただいてきたことの記念でもありました。
ところが、その時、山の下では、金の子牛を拝んで騒いでいたため、モーセの命令で3000人が殺されたのです。
パウロは「文字は殺し、御霊は生かす」と言っています(Ⅱコリント3:6)。律法の役目は罪を示すことですが、福音はその罪の赦しと解放を告げるのです。

最後に、使徒の働き15章を見ますと、ペテロがこのペンテコステの意味を解説しています。信仰によって心をきよめる恵みが注がれたのだと、言っています(使徒15:8-9)。聖書の言う心の聖めとは、神の愛に満たされることです。

ペンテコステの日に立ち上がった弟子たちには、愛が注がれ、恐れを閉め出したのです。それで、大胆に福音を語ったのです。神が愛をもって御子をお送りくださり、御子イエス様は愛のゆえに十字架の上で死なれたこと、それで救いの招きをする愛が与えられていたのです。

私たちも、聖霊に満たされるとき、神の愛を注がれます。こんなすばらしい救いをお与えくださる神をほめたたえます。

「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって私たちを救ってくださいました。神はこの聖霊を私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」(テトス3:5-6) 
アーメン!

カテゴリー: 礼拝メッセージ