聖書 ペテロの手紙第二 1章16節〜21節
ペテロは二つの手紙を残しています。「無学な普通の人」であるペテロが聖霊に満たされて奉仕をしたことは、私たちにも励ましとなります。
この第二の手紙の中で、一カ所だけ「聖霊」に言及しています。今朝は、それを取り上げます。
16節で、ペテロは「私たちの主イエス・キリストの力と来臨」について語ったと記しています。これは、主イエス様の再臨を指しての言葉です。
ところが、彼の語ることを信じず、「巧みな作り話」だと、けなす人々があったのでした。そこで、ペテロは、二つの面から、イエス様の再臨の論証をしようとしています。
最初に、ペテロは、イエス様とともに上った山の上での経験を語ります。それは、イエス様の姿が変わった出来事でした。
イエス様が輝いて、モーセとエリヤと話していたのです。ペテロが少し興奮して「三つの小屋を建てましょう」と言った後、雲におおわれ、その雲の中から「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」という御声が聞こえた時のことです。この経験は、ペテロにとって、再臨の主にお会いする前味わいでした。ですから、イエス様の力と来臨は現実に起こることなのです。
次にペテロが書いたことは、聖書の権威です。旧約聖書には、イエス様の再臨の預言がたくさんあります。「夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているといいのです。」この言葉には、再臨の主が私たちの心の拠り所となるように、旧約聖書の預言に目を留めることが示されています。聖書の光を軽視すると、暗闇に飲み込まれてしまうのです。
聖書のどんな預言も、「預言者自身の解釈ではない」(欄外注)ことを、心得ていなければなりません。それは、同じように、イエス様の再臨を語ったペテロの言葉も「巧みな作り話」ではないのです。
「預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」ここで言われている「預言」とは、いわゆる未来についての予告ではなく、神から御言葉を預かって語られたものです。神様のみこころが伝えられているものです。
その意味では、聖書は神の言葉です。神の御心が伝えられているものです。私たちの救いのために、神様が何をしてくださったか、また、私たちがどのように生きるべきかを語る神の言葉です。
ですから、聖書がある、ということは、神様が私たちに伝えたいことがあり、この本を読んでほしいと願っておられることを示しています。聖書に親しみましょう。